病気と障害という自分のなかにある恐れと向き合う10日間のお勉強から帰ってきて(いつも名古屋に勉強にいってます)、恐怖に対する感覚?も前とはなんだか変わってきたな、(愛はわかるような、もう一歩のような)などと感じながら東京で過ごしていたのですが、深夜になんだかお菓子が食べたくなり近所のコンビニに向かいました。
まだ夏の始まるちょい前で、やや暑いけど、そんなに嫌でもないおだやかな梅雨の終わりだなと感じながら歩いていたのですが、ふとあることに気がついたのです。
目に入る景色というか、最初は単純に歩道の脇にあるマンションが「あれ?これって愛でできてる」ってわかったんです。そして足元にみえる街路の背の低い木々や、コンクリート、少しとおくにみえる看板、というか目に入るものすべてが愛でできているとわかったんです。
これは思ったとかじゃなくて、わかったとしか言いようがないんですけど、あぁ、そうなんだとわかりました。なんだか高尚な話にきこえてしまうかもしれないですが、けっしてそうではなく、すごく単純にその物質の構成要素の最小単位が愛だったんだという意味です。ただそうなだけ。って感じだったんですけど、こんな話は誰も教えてくれないし、気がついちゃたって感じです。
で、その時の感覚というか空気?がほんとうに穏やかで緊張がないというか、世界が移動した感覚に近く、なんで今まで気が付かなかったんだろう?と思ったのですか、この感覚がずっと続くといいなと思いました。
この話に『?(はて?)』って思ってる人もこの先いつか、きっと気がつく時がきます。だってこの文章を読んでいる時点でその流れにいるんです。
そして、翌週にまた勉強しに名古屋にいきました。栄(名古屋の繁華街)のホテルにいつも泊まっているのですが、今回のホテルの朝食は一階に併設されているコメダ珈琲店(すき)にて提供されております。栄は繁華街なのでやや夜の街な場所でもあるのですが、朝6:30のコメダは朝帰りのお水な感じの男女のグループがコメダをぱくついておりました。これがまた、みなさんとっても朝からギャーピー×10しておりまして、寝起きのわたくしは、ちょっと勘弁してよ(汗)と思います。このときふと思ったんです。
あのときの感覚呼び戻そうと。すると、「あれ?でも、あの人達も愛で出来てるんでしょ」って思い、許すというのはなんだか大げさな感じなんですけど、なんというか、まぁいいじゃないか、という気持ちになりました。あぁ、やっぱあの感覚最強だなと。今でも思い出そうとすれば思い出せる感じなのでなるだけ日々、感じていこうと思います。
そしてこうも思いました、自分が今まで思っていた『愛』っていうのとはなんか違うかんじだと。もっと普通であたりまえな感じがしたのです。そもそも、求めるものではなく、すでに全部、愛だったっんだって感じです。世間で展開されているドラマや映画、いままでの自分の人生のすったもんだ、すべての愛を求める行動っていうのは、メガネを頭の上にのせたまま、メガネをさがしている定番コントみたいなかんじです。
この世界で目に見える、触れるものというのはすべてエネルギーでできています。そしてそれは実はすべて愛でできています。としか言いようがないんですけど、そうなんです。そして目に見えないもの気持ちなどもすべてエネルギーだと思います。
そしてすべて愛なんです。いやいや、俺のみている世界はそんな世界じゃないぜって話もわかりますが、この世界のすべては愛をベースに展開されていて、そこを求める行為によってその反対の感情や現象が現れるという感じだと思います。なぜかというと僕らがこの世界に存在している理由はすべて、愛を理解するため、思い出すためだからです。
そして、それは本当の自分を思い出していく過程でもあるんです。
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