全部本当で全部ウソ いったいなんのことやら?という感じかと思いますが、最近よく思うのです。全部本当で全部ウソ。
僕は視力が0.1でしかもメガネが好きではなく、コンタクトも好きではなかったので大学生の頃は裸眼でずっと生活していました。自転車に乗るときとか夜、以外は得に生活に支障はなかったのです。そんな学生時代に写真の授業をとり課題が出され講評がありました(美術系の大学は課題にそって作品を作りそれをみなで見ながらあれこれ先生が採点するというか解説するシステムがよくあります)。どんな課題だったか忘れてしまいましたが講評の内容はよく覚えています。『ピンがあってないのでこれはだめな写真です』という評価でした。僕はその時、先生と僕にとっての世界のリアリティが全く違うと思ったのです。僕は視力が0.1の世界で生きているので、すべてにピンがあっている世界に違和感を感じます。ややぼやっとしている世界にリアリティを感じるのです。
課題のテーマを忘れてしまったので、課題の回答としては僕の写真は的外れな写真だったのかもしれませんが、ピンがあってないからだめなんて自分には一生わからない価値観だなと思いました。先生には先生の本当があって僕には僕の本当がある。と思いました。今ではピンがあっていないからダメのシチュエーションも仕事上での写真のセレクトなどでわかるといえばわかるのですが、当時の僕の素直な感想は美大の写真の授業でそれはないんじゃないと思っていました。なぜなら写真って個人の世界の表現だと僕は思うからです。
ある人にとって真実というか本当は、自分にとってぴんとこない。嘘に感じる。逆もまたしかり。ある人にとって嘘なことでも、自分にとっては本当に感じる。世の中は全部こんなかんじで動いていると思うんです。『あの人は間違っている!』の先にあるのは『自分はあっている。』です。でも実際は全部本当だし全部ウソなんです。いい加減なこというな!という感じかもしれないですけど自分にとってそれが本当ならそれでいい。と思うんです。みんな違う世界を生きていてみんなそれぞれ真剣なんです。そして一番大事なのは何が自分にとって本当かです。
当時夢中だった写真家にジャック・ピアソンという人がいます。今でも大好きですが最初に見たときは衝撃でした。あ!!俺のすきな世界だ!と胸が高なったのを覚えています。ちらみせ↓
JACK PIERSON
Don’t Interrupt the Sorrow 1993-1994
Into the Mystic 1994-1995
Boy 1999
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