たとえばなんですけど、すごく極端な話かもしれませんが 路上生活をしている人がいるとします。不憫におもいアドバイスをしようとする人がでてきました。そして仕事を斡旋してお金を稼ぐ方法をおしえたとします。アドバイスする人はそれがその人の幸せに結びつくと思っているのです。でもじつはその路上生活をしている人はすでに使いみちのないくらいのお金を所有しており、そんな環境にかえって不自由さを感じてしまいあえて路上生活を送っているとします。そのアドバイスにこたえはあるのでしょうか。
これは極端な話かもしれませんが、実際に僕たちが外にもとめるこたえって、大なり小なりありますがこんなかんじです。ほとんど意味ないんです。
だけど 親がそういってた
だけど 社会はそういうルールっぽいし
だけど テレビでそういってた
だけど ネットでみたらそう書いてあった
だけど 専門家がそういってた
だって 偉い人がそういってたし
だって それが常識だし
たしかにそうなのかもしれない空気を感じてしまいそうになりますが、そこにこたえはなかったりします。自分の気持ちは他人の多数決じゃ決まらないんです。じゃぁどうすればいいんだよ?って思うかもしれませんがどうするかを考えるのが人生だと思います。自分で考えて自分で決めるんです。それが合っているか間違っているかはどうでもよくて自分で決めたことが『こたえ』なんです。外に基準を求めるともう何がなんだかわからなくなるんです。なぜなら基準は全部自分だから他人の基準にあわせてもうまくいかないのです。
なにか自分にはわからない絶対の『こたえ』がどこかにあると思っているとなんだか不安になります。今の自分、これであってるのかな?って。過去の選択を後悔したりもします。不安がつのると何か外に答えを求めてしまいます。こたえがありそうな本を読んだり、誰かのアドバイスをうけいれたり、占いをしたり、何かの宗教の教えに沿って生きてみたり、でもそこに完全なこたえはないんです。 過去を後悔しているとしたらその時の自分の気持ちに素直に行動できていなかったからなんです。自分の気持ちに蓋をしていると永遠にもやもやしたものが自分の周辺に漂い身動きがとれなくなりにっちもさっちもいかなくなります。全部自分が選んだものが『こたえ』だったと思えると視界がクリアになって元気になります。全部自分のせいだからです。
全部自分で決めるんなら外に意味なんてないじゃんってなりそうですが、そんなことはなくて外はめっちゃ大事です。外には『こたえ』を求めるんじゃなくて『ヒント』をもとめるのがベストだと僕は思います。外にヒントをもとめて自分でこたえをだすんです。外がないと本当の自分が見えてこないんです。どういうこと?って感じかもしれませが実際にやってみるしかないんですけど、やり方は人それぞれでいいと思うのですが例えばでいうとこんなかんじです。
だれもが経験してそうな親子の関係のかんじだと
自分(内)『将来、漫画家とかいいなぁと思うんだけど、どうおもう?』
親(外)『○○ちゃんはもっと安定した仕事をしてほしい。人に教えるの好きだったじゃない。学校の先生とかいいんじゃない?』
ここにおおきなヒントがあります。
学校の先生かぁ。それもいいかもしれないけど、なんか気が乗らないな。親はそういうけど。
でもなぁ。やっぱ自分は漫画がすきだな。親に反対されても自分は絶対に漫画家になりたい!
これが『ヒント』をうまくいかして自分の気持ちに気がつく『こたえ』です。反対されたことによって本当の気持ちに気がつくのです。比較するものがないと自分の本当の望みにたどり着けないのです。外には自分の気持ちとは違ういろいろな意見があります。それと自分の気持ちを比べて一番納得する気持ちを選ぶ 内にもとめる これが『こたえ』です。その『こたえ』を選ぶには少しの勇気が必要ですけどやる価値があります。こたえは外にはなくて内にある。これが本当だし一番、結局はらくちんに生きられる方法だと思っています。
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