言葉の定義ってむずかしくて人それぞれだったりもするので、あれやこれや書きましたが、世間一般でいわれている「がんばる」ってなんか自分の人生で振り返ると怪しいなと思います。
どういう意味かというと、がんばると努力すると結果が伴うという当たり前のようにいわれている方程式が怪しいなと思うのです。その通りだといえば、そうなのですけど、それって最短なのかな?とか、その道だけなのかな?と。この常識に疑問を感じてしまう、けっこう根本な感じです。ここに「?」がでてくるとドラマとか漫画とか楽しめなくなるところもあるので、けっこう危険といえば危険なんですけど、もう、そう思ってしまったのでドンマイでいきたいと思います。
なぜかというと僕が今までうまくいったことって、がんばるとか、努力とかとちょっと位置が違うところにあるものがスムーズだし楽しいんです。というか努力とか、がんばるが気持ちの最前線に躍り出てくるとなんか重苦しいし、視界が曇るというか。楽しさが半減するというか。
そこを努力でのりこえるんだよ!といわれれば、そういう価値観もあるけど、自分的には別の視点で楽しさみつけたりしたほうが、近道な気するけどな?と考えたりします。努力とかがんばるって目的が第一になってしまっている感じで、そもそもなんでやってるかが、よくわかんなくなってしまうんです。
たとえば、またDJの話になってしまいますが、僕はフランキー・ナックルズが大好きなんですけど楽曲ももちろん最高に好きなのですが、一番好きなのはフランキーのDJなんです。フランキーのDJってけっこう普通なハウスって感じに聞こえると思うのですけど、僕的にはけっこう異常で(もちろんいい意味で)、この人はいったいどこ、なにを見ているんだろうっていう奥深さを感じるんです。さすがハウスの神様だと思うし、最高×100リスペクトしてます。DJやり始めた頃は、そんな大好きなフランキーと共演できたらうれしいだろうな。とか考えてたりしたんですけど(ずうずうしいですねw)好きなDJをずっーと続けていたら、なんと!気がついたらフランキーが来日した時のオープニングDJを頼まれる事になってたりしてました。しかも何度も。うそみたいな本当の話です。
でも、僕はそれが目的でDJやってたわけでもないし、そのために努力したこともないんですけど、結果はそうなってたんです。
自分のパーティ、robotfunkをやっていた時も、ゲイナイトで自分が遊びにいきたいな、というNY系の音がかかるパーティがなかったので、俺がやるかと始めたのですが、だんだん人気がでてくると関わる人も多くなり、集客とか世間なども気になりだし、そこにがんばるとか、そういう気持ちがどんどん大きくなりだしました。最終的には小さい箱のパーティではけっこうな集客にまでなったんですけど、そんな結果がでてもなんだか虚しいというか、あれ?俺なんでパーティやってんだろかという気持ちのが大きくなってしまい、よくわからない感情になりました。結果がでたらうれしい、という前提で生きていると、結果がでてもたいしてうれしくない事ってあるんです。
で、なにかいいたいかというと、世間でいわれている、がんばることはいい事だ!がんばることが必要だ!という価値観に疑問をもつ人がいてもいいんじゃないかな?って思うのです。
がんばる至上主義は気を抜くとあちこちで展開されているので影響されやすいんですけど、がんばるってそもそも、なんか無理してる感があるし、周りからみればがんばってるように見えるけど、本人的には好きな事だから色々しつこくやってるだけなんだけどな、がスムーズだし楽しいと僕は思ったりします。そして、それが結果を見るのであれば目的地にたどり着く最短ルートな予感なんです。
おまけ
しばらく休んでいたDJ活動ですが、最近やっとやる気がわいてきて★また復活しようと思ってます。好きな事って結局そこに戻されるみたい。(ヨロ)
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