世の中にはいろいろな法則があると思います。
法則っていうのは地球上で全般に作用する。って意味なような気がするんですけど、そこが絶対ってなると可能性が狭まって、結構辛くなる時もあるんですけど、まぁその話はややこしいのでいまは置いといて。
法則の外にあることがおこると、みんなそれって奇跡!っていいます。宙に浮いたり、水をワインにしたり。法則の外にあることを現実に起こすことをできる人を人は拝めたり、崇拝したり絶対の存在と思ったりします。それがいいのか、悪いのかは僕にはよくわかりませんが、信じたものを絶対として、それ以外の存在を敵として戦うくらいならそれってどうなのかなぁと思います。そもそも、奇跡を起こすことのできたご本人が争いを望むとはおもえないですよね。
話がずれましたが、僕もなんと法則をみつけてしまいました。(ドヤ)
『お腹いっぱいの法則』です。
これはですね、お腹がいっぱいになるまで食べ続けるという法則です。どうですか、この頭の悪そうな言葉の響き。(ドヤ)
みんな、食事でご飯を食べなくなるタイミング?というか分量?はだいたいその人の尺度でお腹がいっぱいになったときですよね。お腹が減ってるときは大盛りを頼むし、たくさんたべたい人も大盛りを頼みますよね。お腹がいっぱいになると食べるのやめるのです。
そんな法則、人生に役に立たない感満載ですが、この法則は人生に起こる出来事にも当てはまるんです。お腹いっぱいは食べ物だけではないのです。経験もなんです。
なんだかよくわからないけど、人生でたびたび訪れる苦しいこととか悩みとかありませんか?またこれか!みたいなやつです。
なんでそれが訪れるかというと、その経験でお腹がいっぱいになってないからなんです。その苦しみは実は自分がもとめていたりするんです。起きている出来事に他人や周りは関係ないんです。全部自分なんです。
本当に心底、もうこんな体験はこりごりだ!という境地までたどり着くまで、その体験は何度も何度も人生に現れるんです。たぶん死ぬまで。😇(チーン)
それはなぜかというと、その体験の本質、自分の中にある理由、を真剣にみようとしていないからなんです。そしてそれは、そこそこというか相当というか、見るのが怖いものなのでみんな避けてしまいます。そうなると、まだまだお腹いっぱいになるまで食べなきゃいけないので、次から次へと手を変え品を変え、似たようなパターンで同じような体験が続くんです。本人はそんな気は毛頭ないのですがそうなってしまうのです。😇(チーン)
そこでもう自分はこんな経験はお腹いっぱいだ!もういらない!と心のそこから思えると、あたらしい選択肢がみえてきます。
やることは簡単で自分の本当の気持ちに素直になる。考え方を変える。気がつく。それだけです。だけど世間や常識とかいう、あやふやで本当だか嘘だかよくわからないものがそれを許しません。そっちを優先してきた僕らは自分の本当の気持ちを隠して生きてきたので、自分の望むものに気が付つけないことがたくさんあって、学校でおそわった正しいこと、世間でいわれている正しいこと、マスコミが言ってること、偉いといわれてるあやしい人が説明してること、親におしえられた正しいこと、常識といわれているあやしいものを採用してしまいます。いい大学へ行きなさい。結婚しなさい。就職しなさい。いい会社に行きなさい。あれはしてはいけません、これはしてはいけません。
でも自分の幸せに関係あるただ一つの真実は、あなたがしってるし、あなたにしかわからないし、親や社会、常識といわれているもの、他人がわかるはずがないんです。
それは自分の足の大きさが25,5cmなのに23cmの靴を履いているようなもので、そこを無視して足がいたい!足がいたい!とブーたれながらあるき続けているので、そこに気が付かないと、なーんだ、ま〜だ、その靴はいてんのか!そうかそうか、もっとわかりやすいのがいいんだな。よいよい。と次は22cmの靴が提供されたりするんです。でもそれが意地悪ではなくて、めちゃわかりずらい愛だったりすのがこの世界の恐ろしさでもあり、懐の深さだったりもします。
そして、これってすーごく大きな視点でみると、今の世の中、世界で起きている出来事もまったく同じなんです。まーだ気づかないのか!と。
ですが、お腹いっぱいになって倒れそうになるまで気が付かないのも、腹八分目でもういいかもって気がつくのもどっちもありなんです。だってすべて自分で選択しているからなんです😉
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