気持ちに場所がある。
僕は気持ちに場所があると思ってます。僕らの生きている三次元の世界において場所というのは位置、空間、土地などの物理的なポジションのことだと思います。たとえば旅行に行きたいと思っていろいろ調べて海外に行く。簡単にいうと場所を移動する。
海外旅行が好きな人は、なんだかよくわからないけど大好きな土地、国とか、場所とかありますよね。そこにいくと、いつもと違う空気や何かを感じてゆったりしたり、気分がいいなって自然に感じる場所。僕はそこらへんをすごく感じるのはハワイとかバリなんですけど、空気が好きだなって感じます。ロンドンも好きです。そこらへんは個人個人の趣味というか好みというか、みんな違うんだろうと思います。
日本で生活していても好きな場所ってありますよね。(というか日本大好き)たとえばお気に入りのカフェとか、飲食店とか、お店とか。美味しいって理由もあると思いますけど、やはり空気感というか居心地というかみんな無意識で選んでいると思います。
カフェとかは特に思いますが、気分を変えたいって思っていくことが多いですよね。喉を潤したいのであればコンビニでもいいし、家でコーヒー飲むでも目的は一緒で、選択肢は山程あります。でもカフェ行きたいなって時はそこになんかあるから行きたいんです。なんか気分が変わるとか、家で作業するよりなんだかはかどるとか、スタバとかでPCを持参してぴこぴこしてる人が多いのもそういう理由だと思います。あれってちょっぴりカッコつけてるのもあるのかもしれないけど(偏見?)よくわかんないけど家より作業がはかどるんだよ!ってのが大きいと思います。物理的な場所で自分の気分ってかわるんです。
これって「場所が変わると=気持ちが変わる」
ってことは「気持ちが変わる=場所が変わる」とも言えるんです
気持ちが変われば物理的に移動できんのかよ!?って話ではないんですけど、なんというか考え方の話です。気持ちっていうのは目に見えないし、心にあるものだと思うのですけど心もみえないですよね。だからずっと同じ場所にある印象(頭の中のときもあるし、心臓のあたりな感じな時もあるかな?)だと思うのですけどそこに場所の概念というか感覚を取り込むんです。ざっくりいうと、「今はいい気分だ」のときは「いい気分の気持ちの場所」にいます。「なんだか嫌な気分だな」のときは「嫌な気分の気持ちの場所」にいます。気持ちって移動してるんです。その概念を自分の生活や人生に取り入れるんです。自分の感情を観察するんです。
それに意味あんの?っていわれそうですが、意味あります。気分がよくない時に人にあったり、仕事したり、なにかやらなければいけない事をやったりしてもほっとんどうまくいきません。八つ当たりしてしまったり、ミスしてしまったり、普段なら5分でできることがなかなかできなかったり。できたとしても、なんだかつまんなかったり。逆になんだか気分のいい時って、いろいろするするとうまくいきます。誰かと時間を共有する時に自分の気持ちの位置と、その時に起こることを意識して観察してみてください。何かしらの法則があるとわかると思います。それ以前にそもそも嫌な気分で生きているのって単純に嫌ですよね。
みんなが思っているより、遥かに桁違いのレベルで気持ちって大事です。自分の気持ちを意識してみる。自分の気持ちは今どの場所にいるか、気持ちに場所があるという感覚を取り入れて、するするとちょっとづつ移動してみる。移動の方法は人それぞれです。ふわふわした小さい動物をなでたり、好きなものを食べたり、大好きな音楽を聞いたり。なんか気分わるいな、じゃぁ今よりいい気分に移動すっか。みたいな感じで自分の好きなものを意識したり、考え方を変えたりして移動のツールとする。
自分の気持ちの場所って大事だなって思いはじめると、なんかこういうの好きじゃないな、ってものからもだんだん離れるようになっていきます。それって単純にいうと自分の気持ちに、どんどん素直になるって事でもあるし、自分を大事にするって事でもあるんです。
気持ちの場所を移動するということは、その後の行動もかわります。もっといってしまうとその後の人生も変わります。もちろんいい気分を選べばいいほうに。悪い気分を選んでしまうとちょっと大変な人生に。
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