他人で生きてもつまらない
どういう意味だよ!と、またもや思われそうですが、これしかない!とさっき思ったので書きます。
これは、ざっくばらんに言ってしまいますと、みんなにどう思われるか気にすればするほど、喜びが減っていくということです。
僕は今、「個人セッション」と「自分のオリジナル講座 peace of cake! -it is easy!-」のサイトをつくっていまして、ヒーラー仲間のお友達バニちゃんにその草案といいますか、コンセプトをまとめたものを先日みてもらいつつ相談してました。
個人セッションというのは、ある程度やり方があって、そのやり方と仕組みといいますか、内容が一般的にはめちゃくちゃ怪しく😇わかりずらい内容、方法なので、すでにセッションをやっている先輩方のサイトなどを参考にしながら作成してました。
セッションは、そもそもの根本のところで一体全体なにやってんだよ!って感じなので、一度受けていただけた人は、まじすごい!🥳って思ってくれるから特に説明もいらないんですけど、最初に受けてくれる人というのは、おめーなにやってんだよwそんなん意味あんのかよ、怪しすぎるわ。
という姿勢がデフォルトで、どんなに僕のことを知っている人でも、そんな感じの場合がたまにあります。(あんまないけど)
そこらへんの構造というか、仕組みは嫌というほど理解しているので(それを特に嫌とは感じない特異体質なわたくし)みんなタイミングがあるんだな。という気持ちでやっていますが、サイトを作っていると、デザイン魂といいますか「どんだけわかりやすく皆に伝えるか」に意識がむいてしまい、それどころじゃなくなってしまいます。
そこで、言い回しとか言葉とか概念とかを、できるだけ幅広く伝える意識が強くなってしまい、最大公約数的な思考になっていき、だんだん自分が本当に思っている事とずれていってしまうのです。セッションの内容を表しているという点では根本的にあっているし、みなにも伝わる言葉や内容になっているんですけど、なんかしっくりこないんです。
うすうす、そこらへんを感じつつ、なんかつまんないな…と思いながら書いてたんですけど、バニちゃん🐰(つうか、このときはバニ先生🐰ってかんじ)に
「ワラちゃんは、たくさんヒーラーの人とかいるけど、ちょっとみんなと違うでしょ。みんなはみんなでいいところあるし、ワラちゃんはそこに合わせなくていいから、ワラちゃんらしさなくさないで、新しい世代の感覚でやんなよ!」
って言ってくれたんです。さすがバニパイセン🐰
これだと思いましたね。
ここらへんはセッションの根本的な意識にもかかわってくる大事なところで、僕はそもそも「あなたの問題解決いたします!」という意識でやっていないんです。なぜかというとその意識だと「助ける、助けられる」という構図で永遠だからです。僕はそもそも人を助けたいと思っていないし、そういう世界に魅力を感じません。
今は、もうそんな時代じゃないと思っています。新しいフェイズに突入していると感じています。
僕が考えてやっている「セッション」も「オリジナル講座 peace of cake! -it is easy!-」も目指しているところはそこでなくて「ぜんぶおめーが解決できんだぜ!」が根本の意識です。そこに意識をむけるお手伝いって感じです。なぜかというとそれが本当だから。
本当の事というのは、めちゃくちゃパワーがあるんです。これはこの世の真理です。
で、その本当っていうのはどういうことかというと、いわゆる真理といわれる世界でもあるし、その前だか後ろだかよくわからないのだけど、自分が本当にどう感じているかも本当なんです。
めちゃくちゃ美味しいといわれているお店にみんなで行って、一緒にいった人全員がおいしいといっても、自分が「いまいち」と思ったらそれが本当なんです。そのあなたの本当を「みんなに、周りに、世間に」あわせていく事を覚えてしまうと自分がいったいなんなんだか、どんどんわからなくなって、だんだんつまんなくなって、元気がなくなっていくんです。他人で生きてるから。そこで大事になってくるのは、みんながおいしいと思っている気持ちを大事にすると同じくらい、いやそれ以上に自分が「いまいち」と思っている気持ちも大事にするんです。
なんだか元気がなくなってきたと感じている人は
他人で生きてもつまらない
って思い出してみてください。
他人で生きてもつまらない じゃぁどうしよ!?の先に喜びがまっていると思います。
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