これは、けっこうずっと考えているんですけど、真実ってなんでしょう。
たとえば今ならコロナ騒動😭とか、アメリカ大統領選🇺🇲とか。僕はトランプは未だに真剣に勝ったと思ってるし、でも負けてんじゃん☆といわれれば、たしかにそういう感じっていわれればそうだけど。って感じです。理由はいろいろあるけど大統領選が始まる前からずっとトランプのtwitterをみてたからです。今は退場させられてしまいましたが、実にキャッチーと思いました。あとは自分が思っている世界の流れにバッチリハマるからです。それが理由になるの?っていわれればそれまでですが、なんか確信があるんですよね。
単純にメディアの構図というか仕組みが、以前よりさらに理解できてきたってのも大きいのですけど。ここらへんは意識と現実の関係を理解すると、すぐに理解できます。キーワードは集合意識をどんだけ下げるかです。そこに気がつくと、お!またやってんな!くらいで大丈夫です。(たまにムっとなりますが)
確信があるから人がなんて言ってても、いろんな意見があるなって感じでみれます。たぶんむこうからみれば、この人、狂ってるって感じにみえると思うのですけど、僕からみたら、あんたが狂ってるって見えたりするんです。だからお互い様だねって思います。違う考え方でも仲良くできたほうがいいですよね。
若い頃は思ったことをすぐに口にだしてしまう性格だったので、よく狂ってると思われているふしもあったのですがw 実際に「おまえはクレージーだ」と最初に就職した会社の社長にいわれた時はけっこう動揺しましたが「俺からみれば社長がクレージーだよ」と思っていましたので狂ってる問題は慣れっこです。慣れる必要はないのですけど。
といいつつ、「俺があってる!」「お前が間違ってる!」とも思っていなくて、ここらへんがややこしいのですが、みんな自分が好きな真実を選べばいいと思ってるんです。絶対の自由は気持ちの選択なのでそれを相手に強要するのってほんとにいけてないと思います。相手に強要した時点で、自分もそういう扱いを受けます。「俺があってる!」「お前が間違ってる!」の行き着く先は戦いです。今までは戦いの時代だったのかもしれないけど、これからの世界は同じ方向をみている人との交流がさらに盛んになって、お互いになんか合わないな?という関係はさらに今まで以上に希薄になると思います。いいかえると戦い(とも言えるし争いともいえます)が好きな人はずっとそういう世界、そういうのは好きじゃない人は違う世界に生きるんじゃないかなって思ってます。みんな自分で選べばいいんです。
で、結局、真実ってなに?
ってなるんですけど真実って実は一つじゃないんです。何いってんだよ!と言われそうですがたぶんそうなんです。ここが腑に落ちるとなーんだ、そうだったんだと楽になります。(たまに夢中になってムっとなってしまいますがpt2)
でもって、その内容を実にうまいこと描いている映画がありまして、黒澤明監督の『羅生門』です。興味が湧いたらぜひご覧ください。
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