*LIFE

そもそも世界はどこからどこまでか

以前から、なんとなく思っていたのですが世界は広いってよくいいますよね。たしかに広いんだろうなと思ったりもするのですが、それと同時にほんとかいな?とも思ったりします。

世界にはいろいろな国があってその場所にいけば、たしかにそこの空気を体験できるし、僕はいったことありませんが宇宙もあるんだろうし、銀河系をこえればそれこそ無限の宇宙が広がっているんだと思います。海外一人旅が大好きなので散々、突発的にいろんな国にいきました。いろんな国にいってるんですけど、その国でしか体験できない空気や人々、文化、いろいろなものにふれて最高に楽しいです。(ある時、友達に「聖地巡りしてんのかと思ってた」と言われ、まったくそんな意識なかったので驚きました。たまたまですw)

たしかに世界は広いし、いろんな海外で経験した体験はまじ最高☆。とも思ったりします。(海外珍道中日記はこちら💁からどうぞ)

と同時に、そもそも世界はどこからどこまでだろか?と考えたりするんです。そりゃ世界地図とか宇宙とかそんな感じだろってのが世間一般の価値観なんですけど、僕はそこにほんとかなと感じます。

これは僕らが生きているこの三次元に限るのかもしれませんが、絶対的な事実がありまして、僕はこの事に気がついたとき、なんだか頭に????がたくさんでてきて、はや数年なんですけど、以下が僕の思うこの世界の事実です。

実態といいますか、現実といいますか、物質的といいますか、なんといえばいいのかよくわかりませんが、実際に確実に確認できる、体験できる世界というのは体の半径+視野を超えることはできないってことです。

どういう意味かといいますと、体のどこかが触れている世界しか実際には体験できないのです。それが三次元の世界なんです。

僕は今、足が床に触れているので床を感じるので、あぁ床があるのだな思いますし、macのキーボードをポチポチしてこの文章を書いているので目の前にmacがあるし、macがあるってわかります。腕はmacをおいている机に触れているので机があるとわかります。

数メートル先のテレビでは画面が写っていて、あそこにテレビがあるのだなとわかります。ただこれは見ているだけで、実際にそこにあるかは近づいていって触って確認するしかありません。見たものがあるっていうのであれば、あるという言い方もあっていると思うので、まぁ、あります。と思います。

何がいいたいかといいますと、僕らは漠然と世界がどっかにあるって当たり前を勝手に信用してるだけで実際、自分で確かめられるもの、触って確かめられるのは体の腕と足が広がり届く範囲だけってことです。そしてそこに視界がはいるのであれば目にみえる範囲までってことです。結局は自分が認識した範囲しか僕の世界には存在しないんです。

海外旅行いけばそこに海外が存在するじゃん。って話になると思うのですが、それすら僕の体感できる海外っていうのは自分が移動してる(と思ってる)体の半径+視野というルールは永遠に変わりません。ずっと自分を中心とした半径で世界は動いているんです。

ここらへんをずっと考えていると、ふとした時にそもそも自分はほんとに移動してんだろか?という疑問がでてきます。最近はよく名古屋とか山梨にいっているんですけど、僕のまわりの景色がかわってるだけなんじゃないの?と思ってしまうんです。まぁ、そんなことを思うのはほんの一瞬で、ほとんどは移動してるって感覚ばっちりなんですけど理屈的にはもしや?とも思うんですよね。

で、僕は実験好きなので、そういう意識で一時期、生活してたことがあって、一瞬ですけどほんとに自分はまったく動いていなくて景色だけ動いている感覚に陥る時があるんです。ルームランナーの上を走ってるような感覚で周りが遊園地のビックリハウスとかネズミランドのタワーオブテラーの原理で動いている感じです。(わかりずら!!)で面白い!と思って続けていると階段とかでてくんですよ。これがやっかいで上下の動きがでてくるともうお手上げで移動してる感マックスに戻ります。

何がいいたいかといいますと、みなが世界だと思っているものというのは、実際は肉体の自分を起点とした体の半径+視野が変化してるだけって話です。

この意識がなんの意味があんだよ?と思われそうですが、ここが実に新しい視点でわかり始めると、どんだけ自分が世界の中心なのかってわかりはじめるんです。自分が世界の中心だっていうのはなんだか良くない印象もあり、悪いものという感覚も覚えそうな感じなのですが、そもそも良い、悪いじゃなくて、この世の仕組みがそうなってんだから仕方がないんです。

「自分が世界の中心」は考え方という感じじゃなくて、そういう仕組として、そこが腑に落ちると、あなたに展開される世界に、出来事に責任感といいますか、やさしさともいえるし、世界を温かい目線でみるしかないとわかります。

たとえば、目の前にゴミが落ちていたりして、世界というフィールドにゴミが落ちていて自分がそこに遭遇したという感覚で生きていると、誰だよ!こんなとこにポイ捨てしやがって!となるんですけど、自分の世界にゴミが出現したってわかると、はいはい、ゴミ箱に捨てましょうかね。ってなるんです。このルールは物だけでなくあなたが今、経験している出来事や人間関係などすべてにあてはまります。

あなたの目の前に出現している世界というのは、全部自分の世界だからです。そしてそれは同時に自分というものをそのまま認めるといいますか、まずは自分からという出発点にも立てるんです。


以前にも同じような内容で違う視点で書いた日記です💁


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